お立ち寄り頂き有難うございます。
あの日から10年経ちました。
10年という節目の今年は、メディアでも多く取り上げられて、ドラマでも震災絡みの作品が特に多いように思います。
『監察医朝顔』も今週の放送では、津波で行方不明になったお母さんの骨が、青森で見つかりやっと連れて帰れた…という流れになってました。
* * *
10年前のこの日のこと、そしてその後続いた不安や怖さの記憶は、何年経っても忘れられず、この時期になると心がざわざわします。
そして、
毎年思い出すのが、当日の丸ちゃんの行動。
都内で雑誌(日経エンタ)の取材中に地震が起きて、大きな揺れに出口を確保しようと入り口のドアを押さえるスタッフに「そんなこといいから」と、身の安全の確保を強く促した…と、その時の編集後記に記されてたこと。
前のブログの時も、毎年のように書いてきたあの日の丸ちゃん。
非常事態では、その人の本当の姿が出ると思うけど、咄嗟に取った丸ちゃんの言動に胸がいっぱいになったものです。
* * *
そして、
震災後、地上の姿は変わってしまったけど、頭上の空は変わらずみんなと繋がってるからね…と、自分が見上げた空の写真を毎日載せてくれるようになった《大切な日》。
どれほど沢山のエイターが、この空の写真に励まされ、前に進む力をもらい、悲しみを癒やされたことか…。
あの震災で亡くなられたエイターさんも、きっといたと思います。
大切な人を亡くされたエイターさんは沢山いたと思います。
丸ちゃんのweb、そしてレンジャーなどでエイトが伝え続けてくれた言葉は、被災地のエイターさん、そして全国のエイターの力になりました。
その年の24時間テレビ、エイトが初めてメインパーソナリティを務めたことも、よく覚えてます。
娘とアリーナ募金のために武道館に出向き、4時間待ったことも懐かしい思い出。
そして、その年のライブ。
エイトはじめての5大ドームツアーである「おもんなかったらドームすいません」(笑)のFIGHTコンは、私が初めてライブに行った思い出深いツアー。
被災地へのチャリティになったワッペン、いくつも買いました。
* * *
あれから10年後の2021年。
コロナ禍で、別の意味で日本中、世界中が先の見えないトンネルの中にいます。
あの年から10年後のエイト。
7人が5人になったけど、ずっと変わらず私たちに元気と笑顔を届けてくれてる。
この先、天災は、またいつどこで起こるかわからない。
でも、
いつどこで自分の人生が途絶えても、エイトと出会ってエイトと一緒に歩いて来れた私の人生は最高だった…って、絶対思えます。
生きてる限り不安は尽きないけれど、同じ時間を過ごすなら、笑って過ごしたいよね(^^)
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いつか、絶えることに向かってるのなら、
一緒に笑って、
この先も同じ空の下で繋がっていよう。
(2014・1・10の丸ちゃんの言葉)
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〈丸ちゃんに届け、今日の2時46分の空〉
ヤスくんの《ボク。》に涙しました。
そして、私も「想うこと」「忘れないこと」を自分のいるところで続けようと思いました。
改めて、
東日本大震災で犠牲になった方々のご冥福と、被災地の復興を心よりお祈りいたします。
お読み頂き有難うございました。